東北大学大学院医学系研究科公衆衛生学専攻 公衆衛生学分野

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2002年度公衆衛生学教室同窓会総会

教授就任挨拶

 久道先生から大変過分なお話をいただきまして、何か先生の退官祝賀会のことを思い出すぐらい緊張しておりますけれども、50数年の長い歴史を踏まえて、第4代教授を仰せつかりました。今日は教授になったばかりの者として、自分の研究につきまして改めて先生方にご報告させていただきまして、ご批判、ご指導をいただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

 私の研究の背景として高齢化社会の進展という問題があります。平均寿命が人生50年時代から60年時代に延びて、そして高齢人口がどんどんふえてきている。20世紀の医学を一言で言うと、「延命の医学」だったわけであります。延命の医学自体は非常に大きな成功を遂げたわけでありますが、その一方で新たな問題をつくってきたわけであります。一つが、寝たきり、痴呆の増加という問題であります。
 そういった意味で現代人の関心といたしましては、この生存の量、平均寿命を延ばし続けるということはもちろん大事なのでありますが、それに加えて寿命の質というものに対する関心が増してきているのではないか。健康指標として最も重要なものは何か? 平均寿命ということが従来言われていたわけでありますが、最近ではむしろ健康と生活の質を反映した、新しい健康指標、つまり健康寿命というものが大事ではないだろうかということでございます。
 健康寿命とは、あと何年自立して健康に暮らせるのか、そういったものを測る指標です。これが私の大きな研究テーマになっております。
 そのような観点に立ちますと人間の寿命というものは二つに分けることができます。一つは健康に暮らせる期間、健康寿命の期間。もう一つは、健康寿命と平均寿命の差、つまり障害を抱えて介護が必要な期間ということです。これからの21世紀の課題といたしましては、もちろん寿命も延びていくのでありましょうけれども、平均寿命の延び以上に健康寿命を延ばすことによって、障害・要介護の期間をできるだけ短縮していきたいということ。これが21世紀の医学、保健、医療にとって最大の課題ではないだろうかと思うわけであります。
 実は私はリハビリテーションの臨床から公衆衛生、予防の方に入れていただいたわけでありますが、やはりリハビリテーション的なものの考え方と予防の考え方、何とか接点を考えていきたいと思っておりました。それが健康寿命という発想になったのですが、その中で最初に私がめぐり会った仕事が仙台市の高齢者健康調査というものでありました。これは南先生にも大変手伝っていただきまして何とか仕事ができたようなものでありますけれども、3,500人ぐらいの方を3年間追跡いたしまして、ADL、身の回りのことですね、食事、排せつ、更衣、入浴、そういったことの遂行能力を3年間で追跡したわけでありま す。
 それをもとに健康寿命を計算するわけですが、65歳で考えますと、平均余命は男性で16.1年、女性で20.4年あります。そのうち男性は14.7年が身の回りのことを自立して暮らせる期間、つまり健康寿命。そして女性では17.7年でした。3年も長いのであります。ところが介護が必要な期間で見ますと、男性1.4年、女性2.7年ということで、2倍も違っているということが現実としてあります。
 このことが現代社会にどのような影響を及ぼしているかといいますと、実は特別養護老人ホームに住んでいる方々、この男女比を見ますと、男性1に対して女性2、女性の方が2倍多い。そしてまた介護保険の利用状況を見ておりましても、男性1に対して女性の方が2倍。障害期間の男女差は、介護サービス利用に実にきれいに反映されているわけであります。
 このように健康寿命の現状を把握しましたので、今度はいかにそれを延ばしていくかということを考え始めたわけであります。
 その中で、やはり私は、リハビリテーションというバックグラウンドから参りましたので、運動治療ということに大きな興味がありました。そこで 仙台市シルバーセンターの方々と、そして教室員では藤田を始めとする連中と一緒になって、老人に運動トレーニングをやってみようということを考えたわけです。60歳以上の仙台市民65名を公募いたしまして、運動群と対照群に無作為に割り付けるということをいたしました。そして運動群に対しては週3回、2時間ずつトレーニングをする。対照群については社交行事で6カ月間待っていただく。その前後でどのような影響があるか。特に重視しましたのは、最大酸素摂取量、持久力としての体力をいかに上げられるかということを考えたわけであります。
トレーニング方法としては、運動群には週3回2時間ずつのプログラムで、最初の30分でストレッチとリズム体操、次の30分で自転車エルゴメーター、次の30分で筋力トレーニング、最後の30分でクールダウンとリラクゼーション、そういった内容です。一言で言いますと、若い人たちがスポーツクラブでやっているのと全く同じような内容と強さで半年間トレーニングをしてもらったわけです。トレーニングの効果ですが、我々が一番大事にしたのは、最大酸素摂取量というものです。
 そこで、運動群・対照群の各々で、訓練前、半年間の訓練後について平均値を見ていきます。運動群ですと、訓練前23.7ミリから訓練後26.8ミリへ3.1ミリ増えております。また、対照群もいろんな測定になれたということもありまして1ミリ増えていますので、この運動トレーニングによる正味の差(効果)は、この3.1-1.0、つまり2.1ミリ。この半年間、お年寄に運動トレーニングをすることによって最大酸素摂取量2.1ミリ、しかも有意に増やすことができました。
 そう言われても、2.1ミリ増加とは一体どういう意味なのだという話になりますので、いろいろ考えてみましたところ、60歳を超しますと1歳 年をとるごとに最大酸素摂取量が0.4ミリずつ下がるというデータがあったわけです。そこで、2.1÷0.4ということで単純に割り算をしてみますと、運動トレーニングを半年したら5歳相当体力が若返ったというような形でアピールしていったわけであります。
 横軸に一人一人の運動トレーニング開始前の最大酸素摂取量を、縦軸に運動トレーニング後の変化率をプロットしてみます。体力が落ちている人ほどトレーニングの効果が著しいということです。お年寄に運動トレーニングしませんかと言いますと、もう手遅れだとか、よく言われるのでありますが、このデータが示すことは何かといいますと、運動トレーニングをすることに手遅れとなるレベルなどないということ。むしろ手遅れと思われている人ほど改善するのだということです。このデータを見て私も非常にうれしく思った次第であります。
 そこで、もっと欲が出てきまして、全面的にお年寄の心身機能を評価して、各々の問題に応じた介入をするといったことができないかと。もっと大きな枠の中で、お年寄の心身の機能障害、痴呆、寝たきり、要介護、そういった機能障害のリスクファクターとなるものを発見して治療につなげたい。お年寄りの総合的な機能評価、新しい検診を何とかできないものかなと考えたわけです。

 そこで今回、今年は非常に暑い夏だったのですが、教室員総出で鶴ケ谷プロジェクトというものを行いました。目的とは、要介護の危険因子となる ものを発見して介入すること。そして、要介護を予防、遅らせるということです。宮城野区鶴ケ谷地区の70歳以上全員、2,730名を対象として行いまし た。

 具体的には、この方々に対して寝たきり予防健診という総合機能評価を実施いたしました。その中で問題が出てきた方については、運動トレーニング、うつに対する介入、そして物忘れに対する精査という、3本柱で介入を行ったわけであります。具体的な検査項目でありますが、運動能力、筋力とかバランス能力、歩行スピード、呼吸機能動脈硬化あるいは骨密度、血液検査。認知機能(ミニメンタルテス ト)、うつ状態の検査には、GDSという世界的に使われているスクリーニングテストの日本語版。生活習慣のインタビュー。歯科検診、歯学部の高齢歯科の先生方と組みまして、毎日歯医者さんが10人来てくださいまして、歯周疾患、そしゃく能力、入れ歯チェックなどの検診をしていただきました。また、検診受診者の方がお帰りになるときは血圧計をお渡しいたしまして、家庭で3週間ぐらいはかっていただく。そういった結果に基づいた説明もいたしました。
 具体的には、チラシを2,700人の方に、個別に配付いたしまして募集したわけです。日にちが7月18日から8月8日まで13日間、市民センターですとか小学校を借り切ってやったわけであります。日にちを予約していただいて、そしてまた歩けない方もいらっしゃいますので、送迎バスを用意する、そういったいろんなことをいたしました。
 検診では、全体を5つの島(運動・医学・問診1・歯科・問診2)に分けまして、これをまわっていただくと。そして、大体1つの島で20分から25分ぐらいかかるので全体で2時間。待ち時間なしで2時間かかるというものでした。
 運動検査なんかですと、問診をとるところから始まるのですが、皆さんこの方の後ろ姿に注目していただきたいんですけれども、暑くてもう汗まみれになっているんですね。大体あのとき、ちょうど七夕の前だったのですが、最高気温が35度とかそんな感じでもう非常に暑くて、脱水になったりするんじゃないかと思って氷を用意したりウーロン茶をどんどん飲んでいただいたりしておりました。
 問診はアルバイトの大学生のお願いしまして、西郡先生から宮教大の学生さんをご紹介いただきまして、こういった方々に問診、3回か4回ぐらい来ていただいてトレーニングをしてから実際やってもらうというような形でいたしました。
 それで全体像ですが(スライド略)、この辺で医学検査をやりまして、この辺でオリエンテーション、この辺が歯科検診で、そこで問診です。ここを歩いている人もいますけれども、体力検査の一つです。ここに所在なげに立っているのが実は私でありまして、私は、準備期間は非常に忙しかったのですが、いざ始まってみると、何一つスペシャリティーが私はないのでありまして、ただ全体をぼうっと眺めながら、暑かったのでこれはベガルタ仙台のうちわを持ちながら、きょうのお昼のお弁当は何かなと思うような、非常に楽をさせていただきました。教室員みんなが非常に頑張ってくれましたお陰です。
 その地区では基本健診の受診率が20%ちょっとというところです。そこで寝たきり予防健診では受診率50%を目標にしようということで、アンビシャスに始めたわけなのです。そのためにいろんな態勢を取りました。予約制にしたり、あるいは無料の送迎バスを手配したり、あるいは地域での普及啓発をしたり、案内チラシをしたり、あるいは民生委員の方々が実際に対象者のところを個別訪問してくださいまして受診の勧奨をしてくださったり、あるいはテレフォンアポインターを1人雇いまして、電話で日程の確認、忘れないように日程確認をする。もう思いつく限りのことをやりました。
 その結果ですが、合計いたしまして44%の受診率で、目標の50%は若干満たなかったんですが、通常の基本検診の受診率の倍ということで満足できる結果かなと考えております。一番若い方が70歳で、一番高齢の方が93歳。90代の方が8名いらっしゃいました。
 その結果をどうやって活用するかということなのですが、一つは、結果説明会をして個別説明をする。もう一つは、運動機能が低下している人に対して運動トレーニング、あるいはうつに対する介入ということを今やっております。
 特にうつですけれども、GDS、30点満点のうち14点以上ですとうつが強く疑われるという状態になるのですが、20.4%これに該当したわけであります。このような方に対しまして、精神科のドクター、それから精神科からうちの教室に来ている大学院生の小泉君が一緒に家庭訪問をしておりまして、うつが疑われる方について、きっちりとしたエバリュエーションをして、必要な方には治療するということを今進めております。
 また、運動トレーニングにつきましては、運動学の永富教授、当教室のポスドクの藤田君、それから大学院生の三浦君を中心に、運動トレーニングを毎週1回ずつ、二つのグループがありますので毎週2回になっていますけれども、10月から、今週が5週目ですか、来年の3月までずっとやり続けるという ことを今やっております
 そういった形でこの鶴ケ谷プロジェクトは、これからも続くわけなのですが、来年ももう一度この健診をやりまして、維持できていた人はどういう人なのか、この1年で機能が悪化した人はどういった人なのか、比べることを通じて介護予防の本当に必要なグループというものを、そのハイリスクを同定したいと考えています。あるいは、運動トレーニングあるいはうつ治療についての事業評価も行います。そういったことを通じて、日本の介護予防というものに、一つの政策的な根拠を出したいというふうに考えております。
 受診者の方々からインフォームド・コンセントで同意いただいた方々につきまして、国保の医療費データを月ごとに追跡することになっております。これをもとにモニタリングいたしまして、一人一人について月別にずっとグラフをかいていきますと、ある月に突然医療費が上がる人が出てくるわけです。そういった人については何か大きなイベントがあったのではないかということで、カルテを閲覧することもご本人から同意をいただいておりますので、そういった方々のところの病院を訪問してカルテを閲覧させていただく。そして採録する。そういった形で、がん登録はもともとありますけれども、心筋梗塞、脳血管疾患、肺炎あるいは転倒骨折、こういったお年寄につきものの病気についても総合的な立場から疾患採録、登録をできるような体制を今つくっております。
 今回の研究の共同組織でありますが、私どもが言い出した訳なのですが、老人科の先生方、精神科の先生方、また障害科学系の人間行動学、運動学分野、それからMRIの検査もお願いしていますので加齢研の機能画像医学、歯学部の加齢歯科学、薬学部の臨床薬学、そして東北文化学園と、幅広い教室との共同研究として行われております。
 鶴ヶ谷プロジェクトの特徴といたしましては、地域高齢者の集団を対象とした非常に広範な共同研究ということです。これが恐らく我々公衆衛生 が、医学部の中で行うべき一つの責任であり、仕事かなと思うのです。つまりバイアスができるだけ少ない、ポピュレーション・ベースの大きなステージを提供しまして、その中にいろんな方に入っていただく。いろんな専門の科の方に入っていただいて、高度な専門性のもとに総合的に取り組む。そういったプロジェクト型の共同研究のステージを提供して、臨床家の方々との共同研究を活性化していく。これがやはり我々公衆衛生学分野が今後医学部の中でさらに大きくなっていく上で重要なことなのかなというふうに考えております。
 そういった意味で今回の寝たきり予防検診、これは私自身の思いを込めると、一つは、もともとリハビリテーションという中にずっといましたので、その中で学んできた運動療法あるいはうつ、痴呆のマネジメント、そういったことをやりたいという思いがありました。そしてまた、久道先生に習いました二次予防ですとか評価の疫学、そういったことをやはりこの中で、この検診という形で出していきたい。また疾患登録、あるいは、以前、大崎 保健所の当時所長でした黒田先生を中心にご指導いただきました医療費分析についてもまた詰め込んでいきたい。そういった私が卒業してからずっとかかわってきたすべてのことを丸ごと詰め込んだ、そういったプロジェクトではないかなという気持ちでおります。

 最後の話題になりますが、今回、教授に就任するに際しましていろんな方からいろんなお言葉をいただいたり、記念のものをいただいたりしたのですが、実はある方から瀬木先生がお書きになられた本をいただきました。「ドイツの健民政策と母子保護事業」という本でございまして、これは昭和19年に出版された本であります。これは実は瀬木先生が昭和13年にドイツにご留学されたときに、ドイツの医療政策、健康政策を取材してこられたものです。実は、フリーのジャーナリストの方からこの本をいただいたのですが、その方も瀬木先生という方は取材、ジャーナリストのセンスとしてもピカ一だったんじゃないかとおっしゃっていました。
 それで目次を開くと、第1章緒言から始まりまして、ドイツ健民政策、殊に母子保護事業発達の概要ということで、母子保健関係のことが非常に詳しく書いております。そして、その結果として乳児死亡がどれくらい減ったかというようなデータも出しておられまして、結核対策、性病対策、そして最後が、非常に暗示的なのでありますが、がん対策ということでこの本が終わっております。
 ナチスドイツ、ナチスという問題はあるのですが、だからといってナチスに関わったすべてを否定し無視するだけというのは、科学者として正しいとは思えません。当時の施策を冷静に見ていきたいと思います。母子保健政策を見ていきますと、国立保健局、保健所というところが統一的に事業を行っております。そして、妊婦に対する定期健診がその当時からあったんですね。そして、母子も母親学級とか、生まれてからもほとんど2カ月ごとぐらいに、子供は保健局に行って定期健診を受ける。あるいは母乳が出ない等については人乳を集配したりとか、いろいろもう至れり尽くせりです。そして、中でも非常にびっくりしたのは、主婦の保養施設というのがありまして、主婦といいますか母親は年に1回4週間、この保養施設に入ることが権利であり義務なのです。つまり育児休暇なのですね。育児休暇というのは、育児のための休暇ではなくて育児からの休暇なのですね。そして、国がやっている公営の別荘がありまして、そこに4週間、彼らは子供から離れて1人で暮らすんです。そして、母親学校を聞いたりとかいろんな趣味を、おいしいものを食べて温泉に入って保養して、さらにカルチャースクールとかアロマテラピーとかいろいろあるわけです。そういったことを全部ただでやらせてもらう。そしてその4週間の間子供をどうしているかというと、保母が国から派遣されてその家でちゃんと育児をするというような形で、本当にもう考えられる限りのあらゆる母子保健政策を実は1930年代後半のドイツでは行っていたのです。その結果、出生率が急増して乳児死亡率が減少するという大きな効果がありました。そういったことが非常に詳しく書いてあります。
 この本は、触るとばらばらになってしまうような状態でありますので、コピーをとっております。もしもご希望の方がありましたら、私かあるいは教室員に言っていただければ後でもちろん無料でコピーしてご郵送いたしますので、どうぞお気軽にお声をかけていただきたいと思います。
 そこで、幾つか、読んでみて感激したところがあったので少しご紹介します。この「保健組織」というところに書いてあるんですね。「予防は治療よりも有効であり、廉価である」というようなことが書いていまして、そしてこの「例えば」というところで、私はびっくりしたんですが、「例えば現在(現在って当時戦争中の話なんですが)、ドイツにおいては18歳以下の少年をもって組織するヒットラー少年団には絶対禁煙の教育がなされ、やがて彼らが労働奉仕年限を経て軍隊に入るようになってもこの禁煙は継続される。すなわち、この悪習慣はその萌芽において一定国民層をもって断絶するごとく努力しつつある。10年、20年の月日はまたたく間に過ぎ、ドイツ国民の全部が禁煙するのも近き将来に来るだろう」というような話があります。なぜ私が驚いたかといいますと、喫煙が肺がんの原因であることがわかったのは戦後でありまして、そういったことがわかる前からドイツは禁煙教育をやっていたというのが非常に驚きでありました。
 そしてまた、性病対策の中で書いておられるんですが、私も留学した経験がありますのでその当時の高揚した気持ちに共感しながら読んだんですが、「筆者はドイツ滞在中、ドイツ国民の考える可能・不可能の境界と我が国民の考える可能の限界との間に相当の懸隔のあることを痛感せざるを得なかった。我が国民の通念をもってすればそれが不可能に属する事業をも、彼らは平然として遂行する。我らの夢は、彼らの現実である。日本人は彼らの業績を見て初めてその可能なりしを感ずるのであるが、なおかつ疑いの目をもって眺め、」と書いておられるんです。要するに、私も以前アメリカに留学したときに、なぜアメリカでできて日本でできないのかなということを常に感じたわけでありますが、本当に50年前のこの瀬木先生のお気持ち、非常にわかるような気がいたしました。
 そして、がん対策のところでこのようなことが書いてありまして、第4節でがん患者の調査並びに申告というようなことが書いてあります。そして、本邦におけるがん撲滅案ということが書いてあるんですが、「結核その他伝染病が今なお多く、乳児死亡率高く、天寿を全うせず夭逝する者多き我が国では、がんに関する一般的関心の薄きはやむを得ないところであるが、やがて衛生状態が改善され平均寿命がさらに延長する場合には、本邦でも本問題がその重要性を増してくることは必然であるのみならず、むしろ、かかる日の来ることの一日も早くを望むべきであるが、これに対しあらかじめ防止対策を考究しおくの要があると信ずる」と。そういった形でがん対策を日本で考える必要があるということを、昭和19年の段階でお書きになられて、その当時厚生省におられたわけでありますけれども、そういったことをされたわけであります。

 そういった意味で、私どものこの教室の伝統とは何だったのかということを最後に振り返ってみたいと思います。瀬木先生は、行政において母子手帳をつくられ、そして母子保健を大きく発展されたわけでありますが、いわばこの瀬木先生がつくられた母子手帳を持って大きく育った子供たち、瀬木の子供たちとともに我が教室は歩んできたのではないか。すなわち、瀬木先生のおかげですくすく育った方々が年ごろになった時代、公害ですとかそういった問題がありまして、いろんな意味で人間の物の考え方や行動が変わってきたわけですね。そういった時代に鈴木先生がお仕事をされました。その時代からさらにもっと大きくなって、40代、50代になってがん年齢になったころにちょうど久道先生が教授になられまして、がん検診を全国に広く大きく普及されまして、さらに生活習慣病全般の疫学をされたわけであります。そして、今やその年代の方々はもう60代、70代に入っておりまして、この健康寿命あるいは介護予防というようなレベルに来ております。
 そういった意味で、我々、この公衆衛生学教室は言ってみれば「瀬木の子供たち」と言えるような、そのコーホートとともに常に歩んできたのではないでしょうか。それは逆に言いますと、この教室が常にその時代の健康問題のフロントとして立ち向かってきたのではないか、その伝統を大きく意識したいというふうに思います。
 もう一つ、ここにクエスチョンマーク3つ書きましたが、いま私はこの仕事をやっておりますけれども、順調にいきますと任期が20年弱ありますので、もう1個ぐらい何か新しいことができるんじゃないかなと思って、楽しみに今クエスチョンマークにしているところです。

 これで終わりになりますけれども、そういった意味で、20世紀の医学は延命の医学だったわけでありますが、21世紀の保健医療は単なる延命を超えて健康寿命を延ばすということが大きなテーマになるのではなかろうか。そのためには、従来我々がやってきた「健やかに生きる」ということだけではなくて、「健やかに老い」、そしてまた「健やかに死ぬ」と、そういったところも含めて、我々が公衆衛生学としてとらえていくべきで はないか。そのような課題の大きさに比べますと、私どもはいかにも非力でありますが、その中で精いっぱい頑張っていきたいと思いますので、先生方、これからも、ご指導ご支援をお願いしたいと思います。
 どうもありがとうございました。

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